先生と仙人のストーリーをお話しました。

そもそもこの2人に出会えたのは、私が音楽の道を進んできたからで。

ちょこっと私の人生もお話したいなと思います^ ^

私の人生は、

“音に怯え、音に救われた人生。“

私は音が怖い。

普通に映画館とかに行けたのは、小学生くらいまでかな。

今もコンサートやライブに行くのも勇気がいる。

今は電車にも普通に乗れるけど、イヤホンもせずに乗ることはやっぱり結構キツイ。

元々聴覚が人より優れていたけど、13歳になった頃。

音という音が全て同じ音量で聞こえてくるようになった。

教科書をめくる音、チョークの音、廊下からの足音、校庭から聞こえる声、先生の声。

全てが同時に聞こえてくる。

音という音、全て。

疲れてるだけかなって思ったけど、そうじゃなかった。

だから高校も途中で通信制に変えた。

後に、強迫症の一種だと知った。

そんな私を救ってくれたものが、音楽の世界だった。

音楽の世界には、混乱はなく、規律と調和が保たれていたから。

幼い頃からピアノを習っていたり、歌は歌っていたが、救いを求めるようにして、のめり込んでいった。

「自分で歌を描いてみたら?」

その一言で、作曲などの知識は一切なかったけど、自然と自分の中に音と言葉が流れることを知った。

歌を描いたり、歌ったりはしてたけど、音への恐怖は増すばかり。

何とか、ごまかしながら生きてきた。

誰にも言えなかった。

“私は強いから大丈夫。“そう思いたかった。

でも現実は、年々ひどくなった。

イヤホンをつけてても、いろんな音が聞こえてくる。

当時お世話になってた先生に

「先生、私。

なんでこんなに弱くなっちゃったんだろう。」

と、漏らしたことがあった。

「君は弱くなったんじゃない。

もう君は限界なんだよ。」

そこからどんどん良くなっていった。

限界まで行くと良くなるパターンもあるようで。

私のように若年で症状が出る場合は、遺伝の可能性が大きい。

確かにお父さんやおじいちゃんもそうだった。

重めに聞こえたかもしれませんが、私は1度も死にたいと思ったことがない。

困難はたくさんあった。

でも人は、消えそうな点であっても一点の、一筋の、光が見ていれば絶対に希望は失わなわず生きていくことが出来る。

アウシュビッツでも、そう生き抜いた人がいたように。

“私は絶対大丈夫。“

この想いが消えたことがない。

それは音楽と出逢えた皆さんのお陰。

そして生まれ持った、底抜けに明るい性格のお陰。

どこでだって幸せに生きていける自信がある。根拠のない自信🐣

この気持ちを更に強くしてくれたのは、仙人のお陰。

この世界で、どうにもならないことなんか何1つない。

いつだって、誰だって、人生をクリエイト出来る。

自分という最高の存在を信じることが出来るなら😊♥️

今日も良い一日を^ ^