この前の記事の題名、怖かったかも?🦦笑
とにかく。
おじぃが私に最後に強烈に教えてくれた事。
それは、
″時は、あまりに有限だという事。″
そして、
″人生は突然、思いも寄らない事が起こるという事。″
当たり前のことで、
誰もが知ってることです。
でも、そんな事を強烈に感じながら、
生きられてる人はどれくらいいるんだろう?
私は、今まで全然違いました。
おじぃの病気を知って、
おじぃがどんどん弱っていく姿を見て。
(そして、年末に自分も地味に死にそうになって。笑)
なので、2022年始まってからです。
だからと言って、生き急ごうとかじゃなくて。
自分の望み、目標がハッキリあるのなら、
そこを見つめて、必要のない物は躊躇なく捨ててく。
人生はあまりにも短い。あっという間。
例え、何を成そうが、手に入れようが、
全て時間と共に褪せていく。
記憶も褪せていく。
私にとって、宝物みたいなおじぃとの時間だって、数年後には褪せているだろう。
いや、数ヶ月後かもしれない。
温度は下がっていく。形も変わる。
それが存在する物、起こる事、
全ての性。
でも、例えそうだとしても、
おじぃがしてくれた事。
与えてくれた事。
隣でずっと見てきた姿。
これらを絶対に無駄にしたくないという強い強い想いがある。
どんなに全力で走っても、もう追いつけない。おじぃに見せたいと思い続けた景色も、もう間に合わないのかもしれない。
ならば。
ダサい生き方、ダサいままの自分じゃダメだ。生きる糧にしていくしかない。
私自身も、後どれくらいの時間が残されてるかなんてわからない。
大切な大切なお母さんの命だってそうだ。
何に時間を使う?
今この時をどう過ごす?
私たちは、体験する事、経験する事を望んで生まれてきた。思い描くだけなら、お空の上からふわふわ想像して、ニタニタしてればいい。
有限だからこそ、私たちは尊さを感じる事が出来るのかもしれない。
全てが無限だったら、堕落しちゃうのかも🦥
つまらないのかもしれない。
話がまとまらなくなってきたので、
終わります🦦♥️✨笑
また書きます🏃♀️
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