私はオードリー春日さんの幸福論が好き。

“オードリーさんが売れる前。

事務所からも見放されて、ファンもいない時期。

その状況でも努力する姿勢が見えない春日に変わってほしくて、若林さんは

「28歳にもなって、お互い風呂なしアパートに住んでて同級生は結婚してマンションに住んでるのに恥ずかしくないのか?」

と、問い詰めた。春日は黙ってた。

3日後、春日から電話がかかってきた。

「どうしても幸せなんだけど、やっぱり不幸じゃないと努力って出来ないんですかね?」

と、真剣に言ってきた。

金もない、親も呆れてるこの状況で一体何が幸せなんだ?と、更に問い詰めた。

「ゲームが出来たり、仲間と遊べるのが楽しい。」と、いう答えが返ってきた。

春日の精神性は羨ましいを通り越して、ぼくの憧れになっていた。

なぜかというと、テレビに出てお金をある程度もらえれば幸福になれると僕は信じていたからだ。

確かに前より生活に困ることはなくなった。でも、幸福感はさほど変わらなかった。

春日はずっと楽しそうで。

若林はずっとつまらなそうだった。

ここに何かの鍵があるような気がしていた。

オードリーが盲学校の小学生と一緒に仕事をした時のことである。

子供たちはみんな「春日ー!」と相方に集まるのである。

ぼくの方には1人も来なかった。

春日が子供に人気があるのは見た目にインパクトがあるからだと漠然と思っていた。

しかし、見た目は関係なかった。

春日という男は自分に自信がり、余裕がある。子供たちはそれを感じ取って春日に集まっているのではないかと感じた。

また、逆にぼくの息苦しさも同時に子供たちは感じ取ってるような気がした。

人からの称賛を求め、自己顕示欲を満たすために猛烈な努力をする。

その根底には、孤独や、埋めることのできない欠落感あったりするように感じる。

ぼくは春日に憧れている。“

この話は、お姉ちゃんから数年前に聞いた。

「春日だからそんな風に思えるんだ。」と、その時は思った。でもそうじゃなかった。

心が楽になりたくて、多くの本を読み、哲学を学んだ。たくさん迷った。いっぱい苦しかった。

今の私なら、

あの頃の私になんて言うんだろう。

何を持っていても、いなくても。

何が出来て、何が出来なくても。

今、この瞬間から幸せになれるよ。

愛されてることに気付けるよ。

その笑顔見せてよって。

そんなことを伝える気がする。

そのままで大丈夫って。

今悩んでることだって、数年先から見たら覚えてもいないはず。

仙人と出会って私は大きく変われた。

私も誰かのそんな人になろう✴︎✨

レコーディング、ライブに向けて、調整が中々上手くいってる🐣

今日も皆さんが幸せでありますように🎄